タイ人との交渉術

日本人から見るタイ人の一般的な特徴を挙げてみると、次のような意見が並ぶ。

  • 楽天的、刹那的、のんびり(遅すぎる)
  • ストレスを嫌う、責任感が無い
  • 会社よりも個人や家族を優先
  • プライドが高く、無干渉を好む
  • 素直で真面目だが、自主性や創造性が無い
  • 一般常識が狭く浅い
  • 上座部仏教在家信者、タンブン(積徳)による来世救済、現世の諦観

しかしながらこれらは在タイ日本人経営者から見た“一般タイ人従業員”への見方であって、日本人経営者のビジネス交渉相手として見るタイ人はもっと複雑で多層に渡る。
それほど簡単に“タイ人”の特徴をひとまとめにすることはできない。

タイ社会は、国王を頂点とする階級社会である。
階級間の壁は厚く、最上位階級は、王族や政治家・財閥などの伝統的特権階層が占める。
伝統的特権階層と庶民との間には、日本の平安時代の貴族と平民並みの格差がある。
極端な例ではあるが、国王=天皇、王族=源氏、政治家・財閥=藤原氏・豪族・豪商、庶民=平民、と置き換えるとわかりやすい。
在タイ日系企業の一般タイ人従業員はほぼ平民階級に属している。
ビジネス交渉相手となるのは、藤原氏・豪族・豪商から平民まで幅広い。

ところで、タイ社会の最大の特徴はタイ人と華僑との同化である。
タイはアユタヤー時代から中国との結びつきが強く、アユタヤー陥落後ビルマから国を奪い返す過程で、潮州から大量の移民を受け入れている。その後バンコク王朝でも移民は増え続け、タイの商業は華僑が担うようになった。
タイの華僑・華人は現在でも増加しており、人口6700万人のうち、940万人が華僑・華人であるともいわれている(同化が進んでおり正確なデータは取れない)。
現在のタイの政治家や財閥はそのほとんどが華人であり、タイの政治経済を牛耳っていることから、藤原氏を華人と置き換えてみれば、タイ人交渉相手は、華人、豪族・豪商、庶民という階層に分けられることになる。

華人、豪族・豪商、庶民各層を見て行くと、まずタイ華人はタイ人に同化しているとは言っても、中国文化を色濃く残している。
タイ華人の宗教は大乗仏教色や儒教色が濃く、タイ人が信仰する事実上の国教の上座部仏教の考え方とは大きく異なる。
輪廻転生による運命観(諦観)はなく、現世利益、自力救済、家系主義。
資本主義の中国人だと考えて差し支えない。
次に上流華人および豪族・豪商と、庶民との間にある大きな隔たりを把握しておく必要がある。
タイでは身分格差は厳然としてあり、政治経済を牛耳る特権階層は、当然「富みの平均化」を望んでいない(2016年、やっと相続税が導入されるが庶民へのリップサービス程度)。
上流華人、タイ人豪族・豪商は、幼少のころから子女教育に金を掛け、将来の経営陣であれば、アメリカ、イギリス、オーストラリア、日本などへ留学させる。タイ国内の一般的な学校では、優秀な教師が不足し、画一的な詰め込み教育を行っているため、冒頭の “一般タイ人従業員”のようなタイ人が育つ土壌があるが、上流華人、タイ人豪族・豪商は、この影響を受けず、自由で欧米資本主義的な考え方を持つ者が多い。
このように、タイ人には大きく異なるバックボーンを持つ階層が存在しているので、交渉の際には、まず相手のバックボーンを知り、それに合わせた戦略を練ることが重要である。

もちろん交渉相手のバックボーンを知ることは難しいが、簡単にわかる場合もある。
最もわかりやすいのがタイの財閥の経営陣で、王族系のサイアムセメントグループ財閥を除くその他全ての財閥は華人経営であり、3世4世は留学経験者、流暢な英語を話すと思って間違いない。
また、財閥まで大きくなくとも、会社経営者の多くは中流華人である可能性が高い。
風貌や漢字が記載された名刺で明らかな場合もあるが、タイ語の名字を見てわかることも多い。
タイには日本と同様名字があり、タイ華僑も帰化の際にタイ語名字を取得している。
このとき商売運の良さそうな名字をつける傾向があるため、タイ華人の名字はめでたい意味のある長い名字が多い。
また、留学経験があったり高度な教育を受けたりしたタイ人は、積極的に英語で話してくるため、自らそれと知れる。
英語が片言または全く話せないのが庶民(下流華人含む)である。

タイの企業や役所の組織は、このような多層に渡るタイ人によって構成されており、層によって考え方も権限も行動特性も全く異なる。

典型的な企業組織例を挙げてみる。

  • 絶対的な権限を持つ華人オーナー
  • 経営陣は文字通り経営の全権を持っているが、権限は細分化されている
  • 経営陣と中間管理職との間には大きなギャップがあり、中間管理職に経営判断はできない
  • 中間管理職以下は縦割り組織で、別部署への干渉は行えず、経営への関与もない
  • 一般従業員は黙々と職務をこなすのみ

タイの企業は概ねこのような具合であるから、案件を下から上へ上げるのは至難の業である。
交渉を行う相手はピンポイントで当事者または上の階層を狙わなければならない。
すなわち、交渉はまず人脈づくりである。
社内で無理なら社外から攻めることになるが、実はここは日本よりも割と簡単で、コネクションをつないで行けば、大きな財閥でもない限り経営陣以上に直接コンタクトするのはそれほど難しくない。

ただし、上位に行けば行くほど大きな話しか興味を持たないので、当事者の1つか2つ上の階層を狙って行くのが効率的。

  • オーナーは複数の事業を手掛けていることが多く、長期的に大きな利潤のあるビジネスにしか興味が無いと思ったほうが良い。
    逆に、大きなビジネスはオーナーと直接話ができないとまとまらない。
    合意ができれば、権力は絶対。
    ほぼ華人であり、資本主義の中国人だと思って臨む。
  • 経営陣は利益の最大化を求めて来る。
    タイでは立場の強い者が最大の利益を得るのは当然のことであり、日本人的な遠慮や棚上げは利益の最小化につながるため、自己の存在意義や提携のメリットを最大限主張しなければならない。
    タイのビジネスは「ダメ元」精神が当たり前であり、始めから無理とわかっていることでも平気で言って来る。
    当然、こちらもダメもとで臨まなければならない。
    条件を下げさせるために時間を引き延ばしてくることもある。
    交渉は絶対に弱みを見せず、堂々と大きく臨み、契約条件は是々非々でどんなに細かいことも契約書に盛り込む。
    契約条件を後から変えるのは非常に難しい。
    10年後20年後も見据える。
    日本人は契約書を結ぶのが苦手だが、「何かあった場合は善意で処理」では話にならない。
  • 中間管理職には、職責以外のことは期待しないほうが良い。
    硬直的なセクショナリズム。
    余計な責任を負いたくないため、消極的で融通が利かないことが多い。
    軽く交渉してみて相手にならないようであれば一つ上へのアプローチが必要。
  • 一般従業員とのビジネスの交渉をすることは無意味(権限が無いのでできない)。

役所での交渉も企業と同様であるが、独特な部分を挙げてみる。

  • 一番先にアプローチすべきは最終決裁者またはそれに近い者で、先に通る話を決めておいてから実務担当者と打ち合わせに臨む。
    コネクションが無く、役所に飛び込みで行く場合は、なるべく奥の管理者席に乗り込み、遠慮なく声を掛け、そこから実務担当者を紹介してもらう。
    企業との交渉と同様、下から行ってはならない。
    時間の無駄ばかりか、通るものも通らなくなる可能性もある。
  • 実務担当者がすべての法令を把握しているわけではない。
    できる限りの下調べをして、実務担当者を上手く誘導して行くことが重要。
    タイの役所は書類主義であり、書類上正しければ通り、正しくなければ通らない。
    実務担当者が書類作成しやすくするための資料提供を怠らない。
    書類の体裁以外は作ってあげるくらいの関与で丁度良い。
  • タイのBOI(投資委員会)は特殊な組織。
    法律で禁止されている事業でも、国益に資する事業は認可される可能性がある。
    非常に優秀な職員が揃っている。
  • タイでは賄賂は基本的に不要だが、日本側に弱みがあると付け込まれることがある(特に工場系の許認可や税関)。
    手続きを間違ったりしても正直に申告し、公正に声を大にして(こそこそとせず)進めることが重要。